熊谷朝臣の備忘録

自分のための備忘録です。時に告知板だったり、時に(誰も聞いてくれなかった)自慢話したりします。

トランプの野郎、やりやがった!!

この記事:

science.sciencemag.org

ですがね、トランプの野郎、とうとうやりやがった!!ですね。とうとう、毎年10億円規模予算のNASAの研究プログラムCarbon Monitoring System (CMS)(炭素循環観測システム)を (人知れず)潰してしまったようです。

 トランプ(とホワイトハウス)は、これまでも繰り返しNASACMSを含む地球科学関連予算を削ろうとしてきたし、しまいにはOrbiting Carbon Observatory 3 (OCO-3)まで潰してしまおうとしています。OCO-2の方には、炭素循環・CO2ソース/シンク検出研究だけでなく、太陽光誘発クロロフィル蛍光研究でもお世話になってる人、多いんじゃないですか。やつら、OCO-3の方を潰そうとしてますよ!!

 2010年以来、CMSは65もの炭素循環研究プロジェクトを支援してきました。その多くは、森林生態系の炭素貯留能力の理解に関する研究ですよ。

 CMSは、リモートセンシングを利用して、「それぞれのREDD+実施国でREDD+が適正に実施されているのかを調べる研究」を篤く支援してきました。おかげで、人が簡単には入っていけないような奥地の森林の炭素収支(伐採や道路建設で失われた炭素や森林衰退を止めることで得られた炭素)を知ることができたのです。今や、そんな奥地森林の炭素収支を知ることは不可能となった、と言います。

 大変残念なことです。ふざけんなトランプ!!なのは間違いないです。でも、(アメリカの外にいる)僕らに何かできるわけでもないのも事実です。そうすると、記事にもあるように:

気候緩和策や炭素循環観測は、今やアメリカでは優先順位の高い研究ではない。しかし、問題がどこかへ行ってしまうわけではなく、それは、他の国では依然重要な研究なのだ。

なのです。気候変動は人類共通の敵なのです。だから、僕らは僕らのできるところを頑張りましょう。それしかないです。日本でできることを日本で頑張る、ってことになるのでしょうか。GOSAT2

www.satnavi.jaxa.jp

には凄く期待してます。これに入れ込もう、と強く決意した次第です。

論文を書かない研究者は、ネズミを捕らないネコと同じである

なかなかに刺激的なタイトルをつけてしまいましたが、元は以下のお話です。

yiyiwata.jimdo.com

 これは、もともとは海洋化学の大家である角皆静男先生のホームページにあった文章ですが、先生が亡くなられてホームページが閉鎖されてから、北大の渡辺豊先生がご自身のホームページ上で再現されたようです。ありがたいことです。

 ここのところファーストで論文書いてません。実は、それにはそれなりの理由があって、2年ほど前のこと、

大きな大きなアイディアがある。そのためには、まだまだ修行が足りない。そのアイディアを実現するための勉強が必要だ。業績数を増やすためだけのような小さな研究(実は、結構、そういう研究嫌いじゃない)はやってる暇がない。大きな大きな研究のために、意を決して、ファーストで論文を書くのをしばらく我慢しよう。

と思ったのでした。

 で、なんでこんな話題出したかと言いと、上で書いたこと(2年前思ったこと)は完全に間違いだって気付いたからでした。論文を書かない研究者は「ネズミを捕らないネコ」ではありません、粗大ゴミだと思います。うーん、言い過ぎか。でも、論文を書くのを辞めた段階で研究者を名乗るのも辞めるべきです

 もちろん、粗大ゴミには共著で立派な論文を発表している研究者は含まれません。そのファーストではないけれど、その研究者の参加のおかげで立派な大研究になったという例は幾らでもあります。共著者としての生き方ってのもアリだと思います。

 実は、この2年は、その生き方を選んでました。修行の後、ファーストで大きな論文を書くという思いを残しつつ、です。でも、気付きました。ファーストで論文を書くことを放棄するのは、とても楽な道なのです。そして、いっぺん、その楽な道に慣れたら、なかなかファーストで論文を書く厳しい道には戻りにくいのです。

 大きな試合に勝つために、小さな試合に出るのを止めるというのは、大抵のスポーツで当てはまらないのではないでしょうか?小さな試合で勝つことを積み重ねて大きな試合に出るチャンスを掴み、そこでの大勝利の可能性を高めるのでしょう。僕のイメージにあるのは、錦織圭選手ですね。で、宣言します:

たとえ小さな研究であっても、ガンガン論文書きます。もちろんファーストで。その先に大きな研究があると信じます。

父のこと 第2弾

まったくもって明るい人でした。亡くなるときですら、病室は、笑いに満ちていた、と言っても過言ではないでしょう。

 亡くなる2日前だって、

おかしい、俺は早くて1月、2月中には死んでるはずなのに、まだ生きてる。もう、やることは済んだ。おい、医者に文句言って来い。

で、点滴とか昇圧剤とかが入ってるんだけど、その管について、

全部外すように言って来い。もう、こんなのいらん。おい、医者に丸め込まれるなよ。自分を強く持て(意味わからん)。全部(管)抜くんだからな。

とのこと。とりあえず、お医者さんには、親父がこんなこと言ってますと伝えましたが、苦笑されました。そりゃそうですよね。

 父は、床ずれには悩まされてました。時々すごく痛くなるらしく、亡くなる2日前も、ウーンウーン唸ってました。ウチの長女は、”天然”を遥かに超えた存在(長女の担任の先生がそう言った)なんですが、その時も、

おじいちゃーん、××ちゃん、髪、上げた方が可愛い?おろした方が可愛いと思う?

とのこと。「こんな時に何言っとんじゃ?」と思ったんですが、そこで父、唸りながら、

おろした方が可愛い。

だと。「そして、それに答えるか~」と、こけそうになりました。

 万事、こんな調子でしたから、お葬式も明るく送り出すことにしました。

 父は、僕の講演を聞きたがっていたので(結局、一回も聞くことはできなかった)、葬式の挨拶は、あえて講演風を心がけ、「ここで笑いを取ってやる」と意気込んでやってみました。実際に笑いを取れたし、うまく行ったんではないかと思ってます。父は喜んでくれたんじゃないかな、なんて思ってます。

父のこと

 父が亡くなって、もう2週間が過ぎた。少し、落ち着いてきたので、なんか書こうかなと思う。父は、それはそれは変わった人だった(いくらでも話題が出てくる)ので、少しづつ、ここで披露したい。

 下の写真は、大学の僕の部屋。2017年12月の上旬のこと、父は、すでに末期ガンを宣告され、一切の治療を拒否して一か月以上が過ぎていた。お医者さんによると、この段階で既に余命の範囲内で、いつ死んでもおかしくない、今、動けるはずがない、とのことだった。が、父は、最後の挨拶で東京にやって来た、自分の足を使って。

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 で、僕の研究室にやってきたのだけど、ドアを開けるなり、真っ直ぐ僕の机に向かい、イスに座り、そこら辺中にある本やら書類を開いて机の上にばら撒いた。で、

どうだ、東大教授に見えるか?

そして、

おい、俺の写真を撮れ

とのこと。結局、この時、一緒に写る人を変えて3枚の写真を撮ったのだった。

 

 父は、実に正確に自分の死期を予測していて、亡くなる日の朝、はっきりと「今日、自分は死ぬ」と言ったくらいだった。

 その日の朝の”数値”は、そんなに悪くなく、

「父ちゃん、頑丈だから、神様はそんなに簡単に死なせてくれんよ。もうちょっと頑張ったら(高校の)クラス会だから、もうちょっと頑張んなさいよ。」

と言ったくらいだった。それに対し、

「冗談言え。おい、先生(お医者さん)呼んで来い。」

とのこと。それで、お医者さん呼んで来たら、お医者さんの手を握って、

「今まで、ありがとう。俺は今日、死ぬ。本当にお世話になりました。」

でも、お医者さんも”数値”を見て、

「熊谷さん、お礼を言ってくれるのはありがたいけど、それは、まだ早いですよ。まだまだ大丈夫ですよ。」

と言った。・・・結果的に、父の”予測”は、実に正確だった。

 父の(末期ガン宣告から)最後の5ヶ月(今、気が付いた。そんなに、もったのか!!)は、まったく闘病という言葉とは無縁だった。なんせ、まったく病気と闘わないんだから!!こんな自然態のガン患者っているのか!!

 自分の死ぬ時期を正確に予測し、自分が生きている間にやっておかなければならないことを完全にスケジュール化して、そして、完全にこなした。実は、上の写真も、そのスケジュールの一つで、父は、僕の部屋で撮った3枚の写真をプリントアウトした上で、その中で一番気に入った写真ー上の写真ーを自分の葬式写真として指定していたのだった。しかも、よっぽどこだわりがあったのか、複数の友人に「俺の葬式写真は、これだからな。間違えないようにな。」と言い残して、”安全装置”を掛けていたのだった。

 もともと、何物にも囚われないホンモノの自由人でした。常に飄然としていて、やりたい放題の人生でした(・・・家族にとっては、結構な迷惑でしたが・・・はは)。それは、死に際してもまったく変わりありませんでした。死に際しても、こんなにも飄然としていられ続けられるものなのか。スゴイ男だったな、と心底思います。(あんなにも自由に生きるのは絶対無理ですが)僕も、そうありたいと願いました。

 父のこと、また、思い出したら、書きます。

本の紹介:再録

以前、この本:

若き科学者への手紙:情熱こそ成功の鍵

https://www.amazon.co.jp/%E8%8B%A5%E3%81%8D%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99-%E6%83%85%E7%86%B1%E3%81%93%E3%81%9D%E6%88%90%E5%8A%9F%E3%81%AE%E9%8D%B5-%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3/dp/442240024X

の紹介をしたんだけど、リンクが切れてたんで再録します。

 少しでも、研究者になろうかなぁって思う人、是非読んでみてください。もしかしたら、この本を読むことは、あなたの一生を決定づけるような出来事になるかもしれませんよ。

英文(日本語)の書き方について

卒論・修論のシーズンです。で、学生さんの書いた文章の手直し仕事追われているわけですが、学生さんたちに是非読んでおいてもらいたい文章思い出しました。2013年に書いた文章です。以下、

Tomo'omi Kumagai - Journal_September 2013

からの転載です。

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 そうそう、実は、今、僕が共著に入ってる投稿前の論文が6本もある。まだまだ増える様相で、ある種バブルな感じ。いや、共同研究者のみなさんの努力が次々と実を結んでいるようで敬意を表する次第ですが、単純に僕も嬉しいのです。

 しかし、この現在も増殖中の投稿前論文、投稿前論文と言うからには、これからまだまだ読み込んで、コメントして、議論して、書き直してもらって、チェックして・・・というプロセスが待ち構えてるわけです。もちろん、仲間には、もう経験豊かな研究者もいますが(こんな人たちには、何にも言うことないです)、まだまだ経験が必要なビギナーもいます。ビギナーは、しょうがないです、一杯一杯チェック攻撃・書き直し要求攻撃を受けてもらうことになります。

 そこで、ビギナーに感じたこと、もちろん、たいていの場合、英語が砕け散ってるのですが(そりゃ、しょうがない、だって経験量が絶対的に不足しているのだから)、英語以前に論理的な文章の書き方のトレーニングが出来ていないようです。もっと言うなら、英語以前に日本語が出来ていないのでしょう。

 ビギナー(を自認する方、ん、そうすると僕もか?)のみなさん、ここでアドバイスです。たとえ英語で論文を書くのであっても、まず、日本語で丁寧な文章を組み上げて下さい。僕たちの母国語は、あくまで日本語で、いきなり英語で、深い思考に基づく論理的文章を書くことは不可能だと思うべきです。まず、母国語を使って論理的文章を作り、その後、適切な英語表現を選んで”はめていく”のが最善の道です。

 今、”はめていく”と言いましたが、受験の時、「英作文(えいさくぶん)は英借文(えいしゃくぶん)」って聞いたことありませんか。英語ネイティブでない僕らが、自由自在に英文を書こうというのは、どだい無理な話なのだと知るべきです。僕らにできるのは(英語論文を書く場合)、普段から一杯一杯(英語ネイティブの書いた)論文を読んでおいて、英文文例のストックを豊富に持っておいて、必要に応じてそのストックから”英文を借りることくらいでしょう。そして、経験を重ねるにつれて、わざわざ”ストック”を参照するまでもなく英文が書けるようになります。・・・正直言いましょう。僕が、”ストック”をあまり参照せずに論文を書けるようになった(あと、日本語で前もって文章を作らず論文を書けるようになった)のは、ここ2、3年のことです。僕はどちらかと言うと、鈍臭い部類に入るので、できるようになるまで長くかかった方だと思いますが、”ある程度書けるようになる”まで結構苦労した(してる)んですよ。

 自分が書いた英文が適切かどうか調べる方法はその英文を虚心坦懐に(自分じゃない他人が書いたものとして)和訳することです。ダメな英文は訳せないはずです。もしくは、何を言ってるのか分からないんじゃないでしょうか。日本語で何言ってるのか分からないものが、英文で正しいわけないですよね。

 よく、こんな例え話します。小さい子は、よく、自分の顔だけを隠して隠れたつもりになります。ウチの子なんか、小さい頃、よく、自分の目だけ隠して「どーこだぁ?」ってやってました。あ、障子の向こう側に顔だけ隠して「どーこだぁ?」ってのもありました。要するに自分から見えないものは相手からも見えないって錯覚です。でも、これは、大人にだって当てはまるのです。「自分が分からないものは、みんな分からないんじゃないか。」と思う傾向はありませんか?自分で書いたわけわからん英語は、自分でも分かってないから、他人の理解も、こんなもんだと思って、適当な英文書いてませんか?

 根本的解決としては、日本語で良いから、いや、日本語でなきゃできない、が正しいですよね(深い思考は、僕たちには、日本語でやるしかないのだから)、日本語の論理的文章を書くトレーニングをしっかり積むことです。そこで、僕はよく、この本をお奨めしてます。

「日本語の作文技術」(本多勝一著、朝日文庫

https://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E7%89%88-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%BD%9C%E6%96%87%E6%8A%80%E8%A1%93-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9C%AC%E5%A4%9A-%E5%8B%9D%E4%B8%80-ebook/dp/B01MYXH4J1

です。本多さんと言えば、大変著名なジャーナリストですが、その文章作成技術・理論はとても科学的です。実は、僕自身は、この本を読んだのは、多分浪人生の頃、友達に奨められて(受験国語対策)だったと思うのですが、この本が科学・学術論文書きにも、もの凄く役に立つということに気付いたのは、割と最近のことです。で、人に奨めることが増えたので最近買い直しました(さすがに、手元に無いと、適切なお奨めはできません)。

 すぐに論文の数が必要な世知辛い世の中になってきました。が、こんなところ(日本語の書き方)に立ち返ってみるのは、長い目で見ると、かえって近道になるような気がします。・・・ビギナー向け論文の書き方、気が付いたらまた、書き足してみようと思います。

ファーカー先生!!

今年の京都賞

www.kyotoprize.org

では、基礎科学部門で、あのファーカー(Graham Farquhar)先生が受賞されました。で、まあ、縁あって授賞式と晩餐会に出席してきました。

 しかし、よく考えると、今回の受賞理由ともなった、あの光合成生物化学モデル(ファーカー・モデル)、僕らの分野の仕事をどれだけ作り出したのだろう?

 ホントにファーカー・モデルの出現が無かったら、僕らの分野、いやいや、僕の業績はどんなことになっていたことか、はは。

 なんにしろファーカー先生、やはり、僕らにとってのスーパースターと言うか、神と言うか、ですから、もちろん一緒に写真に入っていただきました(自慢)。

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一緒に国立環境研の伊藤昭彦さん、京大の伊勢武史さんもいらっしゃいます。お二方も我が国の誇るスーパースターですね。っちゅうか、この写真、伊勢さんの強いプッシュが無ければ実現しませんでした(実は、僕は、なんか恥ずかしくて、頼めなかったのです)。伊勢さんに大感謝な次第なのです。