Ram先生との思い出―その2
Ram先生との会話の中で、印象に残ってることがあります。
何かの会話の流れの中で、誰かが、
「親は誰しも、子供の幸せ(happiness)を願うものだ。」
と言いました。それに対して、Ram先生、
「親が願うのは子供の成功(success)だ、幸せ(happiness)じゃない。幸せを願ってるのだとしたら、好きなだけテレビゲームをさせれば良いし、好きなだけお菓子を食べさせれば良い。それで、子供はhappyだって感じるだろ。」
と。まともな親なら、テレビゲームのさせ過ぎもお菓子を好きなだけ食べさせることも子供のためにならないことは分かってる。だから、今のhappinessを我慢させて未来のhappinessーそれを成功(success)と呼ぶーを願うんだ。
「うまいこと言うなぁ。」と僕。で、
「親が自分の子供の今の幸せでなく未来の幸せを願うって、すごく進化生物学的だよね。自分の遺伝子を未来へと繋いでいこうってしてんだから。」
なんか、夢の無い話で終わってしまいました。
Ram Oren先生とのこと
長いことブログが更新されてない、と、最近指摘を複数受けたので、更新してみました。思い出すこともあったので。
Ram Oren先生がウチの研究室に滞在して帰国して、ちょうど1年くらいですね。あぁ、あれからもう1年たったのか、と。
Ram先生、九州大学で講演することになって、一緒に福岡に行きました。で、講演3時間ほど前かな、まだ、時間があるので九大福岡演習林の近くの神社、伊野皇大神宮(実は、僕、そこで結婚式しました)に行きました。そこには、すごく立派なスギ(千年スギと言うに相応しい)があって、見せたかったのです。
スギを見終わったあと、僕がこんなこと言いました。
「この神社の裏山もスギ林と広葉樹林のコントラストが美しい森林です。頂上まで10分ほどで行けるから、登ってみますか?」
で、Ram先生、是非登りたいということに。
登ってる途中雨が降り始めるは、そもそも10分で登るなんて無理だし(僕の勘違い、てへ)、下山では道、間違えるし、総行程、2時間かかってしまったぁ。下は、その山(遠見岳と言います)頂上での写真。Ram先生、疲労困憊ですね。
で、講演会場に着いたのは、講演10分前。僕ら、もちろんRam先生も、汗だく・泥だらけです。
・・・なんとか時間通りに講演が始まりました。そして、講演の冒頭
「みんな、Tomoは嘘つきだ。ここに来る前、10分で登れるからっていうんで山に登った。そしたら、登って下りるのに結局2時間だ。Tomoは嘘つきだ。彼を信用するな。彼は嘘つきだ。」
だって。とても、講演の冒頭の言葉とは思えませんが、いやぁ、ホント申し訳なかったです。でも、今となっては、良い(か?)思い出で、Ram先生とのメールのやり取りで、いまだにこの話題が出るのです。
近況
だいぶ更新してませんでしたが、最近、色んなことがありました。例えば、手術したり、入院したり。
で、まあ、既に退院して半月ほど経ちますが、退院して家に帰ったら、こんなのが貼ってありました。
うん、まあ、嬉しかったんでここで紹介させてもらう次第であります。
退院後、家で女房とテレビ見てたら、三代目J Soul Brothersが出てまして、
僕 : また、このくらい踊れるように復活しなきゃな。
女房:手術前も、こんな風に踊れた訳じゃないでしょうが。
なんて会話もありました。
僕 : 小橋健太も藤原善明も大きな手術の後、リングに戻った。俺も、またリングに戻れるよう頑張らねば。
女房:手術前も、リングに上がったことなんてないでしょうが。
なんて会話もありました。
ま、とにかく、復活すべく日々精進する所存です。
初心を思い出す
忘れないうちに書き留めときます。自分の研究のやり方を決めたきっかけみたいなものを思い出す機会がありました。
先日、ある再放送を見てて、戸塚洋二先生が、
どんなに美しい理論が提案されても、観測事実の前には否定される。観測屋は理論屋に、こう言うんです。「その理論は確かに美しい。でも、自然はその理論を採用してませんよ。」と。これが観測屋の醍醐味です。
と言ってました。そうそう、それ、昔(8年前の番組ですね、これ)、やっぱりこの番組で、この言葉を聞いて感銘を受けたんだった。
で、その昔、日野幹雄先生が言ったことを思い出した。
1000のモデル計算結果が得られても、1つの観測結果が出たら、それは捨て去られなければならない。
そうなんです、だから、僕は、観測もやるモデル屋(いや違う、モデルもやる観測屋・・・うーん、どっちでもいいや)になろうと。
モデルは確かに強力なツールだけど、「自然がその理論に沿ってる」という保証はない。観測は、その保証と、新しい理論構築のためにやるんだ。どちらが欠けても自然科学の手続き上の問題が生じる。だから、僕は両方やるんだ。
この本、読みなさい
昨日の出来事。
もはや、僕らの業種で、この本を読んでない/知らない人がいようとは、思ってなかった。っちゅうか、僕の研究室、どうも、ほとんどの人が、この本を知らないらしい。
これから職業研究者になろうと思ってる人はもちろん、もう既に、なれてる人にとっても、研究者・科学者にとって大事なことは全て書かれている本だと思います。
そういや、この本の内容について、Ramとも語り合いました。Ramも自分の学生に、「まず、この本を読みなさい。」と言ったことがあるそうな。
そうそう、この本の最後に出てくる”2枚の写真の話”に合わせて、僕は、Ramに、こう言いました。
「僕も、ずっと変わっていないし、これからもずっと変わらない。これからも、ずっと現場で研究をし続ける。」
幸せな人生
南部陽一郎先生が亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。
南部先生の業績に関する僕の知識は、一般向け科学雑誌レベルのものに過ぎませんが(それでも、南部先生が現代物理学の最高峰の一人であることは容易に理解できます)、その科学の裏にある”人間の面白さ”に魅了されてしまい(南部先生の評伝は山ほどありますから)、以来、ずっとファンなのです。
南部先生のことが書かれた文章は山ほどありますから、別にここで繰り返す必要もないと思います。僕が言いたいのは、なんと幸せな人生だったか、なんと羨ましい人生だったか、ということです(ちなみに、僕は、自分でも不思議なくらい、人のことを羨ましいと思うことがありません。なぜだか僕も分かりません)。
何が、羨ましいか?それは、おそらく人類最高の知性を有してたから(いくつかの評伝で、明らかだと思います)こそ可能であったのでしょうが、群れることを嫌い、やりたいことをやりたいようにやった孤高の人(だからと言って、全然偉そうでない)ところ。そして、それを、亡くなるまで貫いたところ。
2年ほど前、大阪大学で講演されてますね。この時、92歳。まだ学究心に衰えが感じられません、と言うより、まだ意欲満々ですよね、これは。下に、その講演のリンク貼りました。1時間を超えるトークですが、見た後やる気が出ます。是非。
大阪大学未来トーク 04 「物理学の周辺」南部陽一郎(2013.7.16) - YouTube
つまり、亡くなる直前まで研究やってたってことですよ。
研究は人生そのもの、だから、研究ができなくなったら、それは死ぬとき。それは、死ぬ直前まで研究し続ける、ということでもある。研究・科学に完成なんて無いですから。だから僕らにできることは、息絶えるまで精進し続けることだけなのでしょう。これは、僕の理想であり目標なのです。だから、それを体現して生き切った南部先生の人生は、やはり、羨ましいのです。
Ram Oren先生が来てます
表題の通り、あの世界的植物水分生理学者であるDuke大学のRam Oren先生がウチの研究室に滞在しています。5月中旬に既に来られていて、8月下旬まで滞在の予定です。もう付き合いは長いのですが、もともと僕がほんの学生の頃からの憧れの方ですし、今回のRam先生の滞在は、ホントに興奮なのです。
写真は大学でやったBBQでのひとコマなんですが、たしか、どこで調べてきたんだか、織田から豊臣、そして徳川に至るまでの権力の移行過程についての質問を受けて、超丁寧に説明しているところです(実は、僕は歴男)。
Ram先生の滞在中、色んな出来事が既に起きてます。これからも一杯、起きるでしょう。せっかくの機会なので、できるだけ丁寧に報告しようと思ってます。
あ、忘れないうちに。Ram先生のFACE実験に関する講演の中で、ニーチェの言葉が引用されてました。
Conviction is the greater enemy of truth than lie.
訳すならば、「信念は、嘘よりも危険な真実の敵である。」ですかね。要するに、「思い込みほど真実に至るための障害になるものはない。真実にたどり着きたければ、柔軟に旧来の考えを捨てなさい。」ってことでしょうか。FACE実験初期に出てきた結果で全てを判断するのは性急だ、ということが言いたくて出てきた言葉ですが、科学者にとって常に胸にしとかなければならない言葉だなぁと思った次第なのです。
あと、発表の中で、こんな風に哲学的表現を使うのってセンス良いなぁ、マネしよう、と思ったのでした。