父のこと 第2弾
まったくもって明るい人でした。亡くなるときですら、病室は、笑いに満ちていた、と言っても過言ではないでしょう。
亡くなる2日前だって、
おかしい、俺は早くて1月、2月中には死んでるはずなのに、まだ生きてる。もう、やることは済んだ。おい、医者に文句言って来い。
で、点滴とか昇圧剤とかが入ってるんだけど、その管について、
全部外すように言って来い。もう、こんなのいらん。おい、医者に丸め込まれるなよ。自分を強く持て(意味わからん)。全部(管)抜くんだからな。
とのこと。とりあえず、お医者さんには、親父がこんなこと言ってますと伝えましたが、苦笑されました。そりゃそうですよね。
父は、床ずれには悩まされてました。時々すごく痛くなるらしく、亡くなる2日前も、ウーンウーン唸ってました。ウチの長女は、”天然”を遥かに超えた存在(長女の担任の先生がそう言った)なんですが、その時も、
おじいちゃーん、××ちゃん、髪、上げた方が可愛い?おろした方が可愛いと思う?
とのこと。「こんな時に何言っとんじゃ?」と思ったんですが、そこで父、唸りながら、
おろした方が可愛い。
だと。「そして、それに答えるか~」と、こけそうになりました。
万事、こんな調子でしたから、お葬式も明るく送り出すことにしました。
父は、僕の講演を聞きたがっていたので(結局、一回も聞くことはできなかった)、葬式の挨拶は、あえて講演風を心がけ、「ここで笑いを取ってやる」と意気込んでやってみました。実際に笑いを取れたし、うまく行ったんではないかと思ってます。父は喜んでくれたんじゃないかな、なんて思ってます。
父のこと
父が亡くなって、もう2週間が過ぎた。少し、落ち着いてきたので、なんか書こうかなと思う。父は、それはそれは変わった人だった(いくらでも話題が出てくる)ので、少しづつ、ここで披露したい。
下の写真は、大学の僕の部屋。2017年12月の上旬のこと、父は、すでに末期ガンを宣告され、一切の治療を拒否して一か月以上が過ぎていた。お医者さんによると、この段階で既に余命の範囲内で、いつ死んでもおかしくない、今、動けるはずがない、とのことだった。が、父は、最後の挨拶で東京にやって来た、自分の足を使って。
で、僕の研究室にやってきたのだけど、ドアを開けるなり、真っ直ぐ僕の机に向かい、イスに座り、そこら辺中にある本やら書類を開いて机の上にばら撒いた。で、
どうだ、東大教授に見えるか?
そして、
おい、俺の写真を撮れ
とのこと。結局、この時、一緒に写る人を変えて3枚の写真を撮ったのだった。
父は、実に正確に自分の死期を予測していて、亡くなる日の朝、はっきりと「今日、自分は死ぬ」と言ったくらいだった。
その日の朝の”数値”は、そんなに悪くなく、
「父ちゃん、頑丈だから、神様はそんなに簡単に死なせてくれんよ。もうちょっと頑張ったら(高校の)クラス会だから、もうちょっと頑張んなさいよ。」
と言ったくらいだった。それに対し、
「冗談言え。おい、先生(お医者さん)呼んで来い。」
とのこと。それで、お医者さん呼んで来たら、お医者さんの手を握って、
「今まで、ありがとう。俺は今日、死ぬ。本当にお世話になりました。」
でも、お医者さんも”数値”を見て、
「熊谷さん、お礼を言ってくれるのはありがたいけど、それは、まだ早いですよ。まだまだ大丈夫ですよ。」
と言った。・・・結果的に、父の”予測”は、実に正確だった。
父の(末期ガン宣告から)最後の5ヶ月(今、気が付いた。そんなに、もったのか!!)は、まったく闘病という言葉とは無縁だった。なんせ、まったく病気と闘わないんだから!!こんな自然態のガン患者っているのか!!
自分の死ぬ時期を正確に予測し、自分が生きている間にやっておかなければならないことを完全にスケジュール化して、そして、完全にこなした。実は、上の写真も、そのスケジュールの一つで、父は、僕の部屋で撮った3枚の写真をプリントアウトした上で、その中で一番気に入った写真ー上の写真ーを自分の葬式写真として指定していたのだった。しかも、よっぽどこだわりがあったのか、複数の友人に「俺の葬式写真は、これだからな。間違えないようにな。」と言い残して、”安全装置”を掛けていたのだった。
もともと、何物にも囚われないホンモノの自由人でした。常に飄然としていて、やりたい放題の人生でした(・・・家族にとっては、結構な迷惑でしたが・・・はは)。それは、死に際してもまったく変わりありませんでした。死に際しても、こんなにも飄然としていられ続けられるものなのか。スゴイ男だったな、と心底思います。(あんなにも自由に生きるのは絶対無理ですが)僕も、そうありたいと願いました。
父のこと、また、思い出したら、書きます。
本の紹介:再録
以前、この本:
若き科学者への手紙:情熱こそ成功の鍵
の紹介をしたんだけど、リンクが切れてたんで再録します。
少しでも、研究者になろうかなぁって思う人、是非読んでみてください。もしかしたら、この本を読むことは、あなたの一生を決定づけるような出来事になるかもしれませんよ。
英文(日本語)の書き方について
卒論・修論のシーズンです。で、学生さんの書いた文章の手直し仕事追われているわけですが、学生さんたちに是非読んでおいてもらいたい文章思い出しました。2013年に書いた文章です。以下、
Tomo'omi Kumagai - Journal_September 2013
からの転載です。
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そうそう、実は、今、僕が共著に入ってる投稿前の論文が6本もある。まだまだ増える様相で、ある種バブルな感じ。いや、共同研究者のみなさんの努力が次々と実を結んでいるようで敬意を表する次第ですが、単純に僕も嬉しいのです。
しかし、この現在も増殖中の投稿前論文、投稿前論文と言うからには、これからまだまだ読み込んで、コメントして、議論して、書き直してもらって、チェックして・・・というプロセスが待ち構えてるわけです。もちろん、仲間には、もう経験豊かな研究者もいますが(こんな人たちには、何にも言うことないです)、まだまだ経験が必要なビギナーもいます。ビギナーは、しょうがないです、一杯一杯チェック攻撃・書き直し要求攻撃を受けてもらうことになります。
そこで、ビギナーに感じたこと、もちろん、たいていの場合、英語が砕け散ってるのですが(そりゃ、しょうがない、だって経験量が絶対的に不足しているのだから)、英語以前に論理的な文章の書き方のトレーニングが出来ていないようです。もっと言うなら、英語以前に日本語が出来ていないのでしょう。
ビギナー(を自認する方、ん、そうすると僕もか?)のみなさん、ここでアドバイスです。たとえ英語で論文を書くのであっても、まず、日本語で丁寧な文章を組み上げて下さい。僕たちの母国語は、あくまで日本語で、いきなり英語で、深い思考に基づく論理的文章を書くことは不可能だと思うべきです。まず、母国語を使って論理的文章を作り、その後、適切な英語表現を選んで”はめていく”のが最善の道です。
今、”はめていく”と言いましたが、受験の時、「英作文(えいさくぶん)は英借文(えいしゃくぶん)」って聞いたことありませんか。英語ネイティブでない僕らが、自由自在に英文を書こうというのは、どだい無理な話なのだと知るべきです。僕らにできるのは(英語論文を書く場合)、普段から一杯一杯(英語ネイティブの書いた)論文を読んでおいて、英文文例のストックを豊富に持っておいて、必要に応じてそのストックから”英文を借りることくらいでしょう。そして、経験を重ねるにつれて、わざわざ”ストック”を参照するまでもなく英文が書けるようになります。・・・正直言いましょう。僕が、”ストック”をあまり参照せずに論文を書けるようになった(あと、日本語で前もって文章を作らず論文を書けるようになった)のは、ここ2、3年のことです。僕はどちらかと言うと、鈍臭い部類に入るので、できるようになるまで長くかかった方だと思いますが、”ある程度書けるようになる”まで結構苦労した(してる)んですよ。
自分が書いた英文が適切かどうか調べる方法はその英文を虚心坦懐に(自分じゃない他人が書いたものとして)和訳することです。ダメな英文は訳せないはずです。もしくは、何を言ってるのか分からないんじゃないでしょうか。日本語で何言ってるのか分からないものが、英文で正しいわけないですよね。
よく、こんな例え話します。小さい子は、よく、自分の顔だけを隠して隠れたつもりになります。ウチの子なんか、小さい頃、よく、自分の目だけ隠して「どーこだぁ?」ってやってました。あ、障子の向こう側に顔だけ隠して「どーこだぁ?」ってのもありました。要するに自分から見えないものは相手からも見えないって錯覚です。でも、これは、大人にだって当てはまるのです。「自分が分からないものは、みんな分からないんじゃないか。」と思う傾向はありませんか?自分で書いたわけわからん英語は、自分でも分かってないから、他人の理解も、こんなもんだと思って、適当な英文書いてませんか?
根本的解決としては、日本語で良いから、いや、日本語でなきゃできない、が正しいですよね(深い思考は、僕たちには、日本語でやるしかないのだから)、日本語の論理的文章を書くトレーニングをしっかり積むことです。そこで、僕はよく、この本をお奨めしてます。
です。本多さんと言えば、大変著名なジャーナリストですが、その文章作成技術・理論はとても科学的です。実は、僕自身は、この本を読んだのは、多分浪人生の頃、友達に奨められて(受験国語対策)だったと思うのですが、この本が科学・学術論文書きにも、もの凄く役に立つということに気付いたのは、割と最近のことです。で、人に奨めることが増えたので最近買い直しました(さすがに、手元に無いと、適切なお奨めはできません)。
すぐに論文の数が必要な世知辛い世の中になってきました。が、こんなところ(日本語の書き方)に立ち返ってみるのは、長い目で見ると、かえって近道になるような気がします。・・・ビギナー向け論文の書き方、気が付いたらまた、書き足してみようと思います。
ファーカー先生!!
今年の京都賞
では、基礎科学部門で、あのファーカー(Graham Farquhar)先生が受賞されました。で、まあ、縁あって授賞式と晩餐会に出席してきました。
しかし、よく考えると、今回の受賞理由ともなった、あの光合成生物化学モデル(ファーカー・モデル)、僕らの分野の仕事をどれだけ作り出したのだろう?
ホントにファーカー・モデルの出現が無かったら、僕らの分野、いやいや、僕の業績はどんなことになっていたことか、はは。
なんにしろファーカー先生、やはり、僕らにとってのスーパースターと言うか、神と言うか、ですから、もちろん一緒に写真に入っていただきました(自慢)。
一緒に国立環境研の伊藤昭彦さん、京大の伊勢武史さんもいらっしゃいます。お二方も我が国の誇るスーパースターですね。っちゅうか、この写真、伊勢さんの強いプッシュが無ければ実現しませんでした(実は、僕は、なんか恥ずかしくて、頼めなかったのです)。伊勢さんに大感謝な次第なのです。
近況報告・・・か?
随分と長いこと更新してませんでした。これからは真面目に更新します。いや、公的職業研究者として、こういう風に情報発信するのは、結構義務だと感じてるのですよ。ホントです。
で、まず、先日、Delさん(Delphis Levia教授@デラウェア大学)が、東大に訪問してくれました。で、学生のSeanがゼミ発表してくれたのでした。
大体片付けの終わった旧教授室での記念撮影です。森林総研の清水さんも一緒ですね。
ゼミ後、研究室挙げての飲み会です。25年ぶりの車屋でした。
飲みの後、雨が降ってたんですが、お互い黄色いコートを着てることに気付いて、記念撮影。イエロー・コート・プロフェッサーズだそうです。
で、もう一個。
東大農学部のホームページ
で、僕のグループの研究成果が紹介されてます:
これは、まさに僕のグループの成果で、発案からドラフトを書き上げるところまで僕が主体で行った研究なんで、こんな風に世に出てくるのは感慨深いものがあります。
ほいで、こちら:
2.大規模野外操作実験により熱帯雨林の巨大高木の乾燥ストレス応答を解明
森林総研の井上さん、憲蔵さん、高知大の市栄さんの研究ですが、便乗させてもらいました。実に、立派な成果で、仲間に入れてもらえて、嬉しいです。同じ実験で、僕のグループが主体となって行った研究もあるんですが、ウチの方が後発になってしまいました。頑張らねば、と思います。
まだ、報告せねば、というものが幾つかありますが、また、後程です。
なかなか甘くないな・・・
Nate McDowellが主著で、共著者の一人として(と言っても、共著者は総勢35名)参加しているレビュー論文(New PhytologistにTansley Reviewとして投稿したのだから、そりゃ難しいのは確かだけれど)「熱帯樹木の気候変動/乾燥化による枯死」が”再投稿を促されたリジェクト”という結果になった。
興味深いのは、さすがNew Phytologistの査読者の意見だけあって、コメントは全て、なかなか素晴らしいものであったのだけれど、結果が多様であったことだ。
査読者1、2は、マイナーリビジョン、特に1は、絶賛、と言っても良いだろう。
査読者3は、メイジャーリビジョン、まあ、よくある厳しさの結果か。
そして、査読者4が、「重要な題材を丁寧なレビューで深く掘り下げている、と思って読み進め、確かに、良く書けているが、思ったほど秀作ではない。っちゅうか、こりゃ期待外れだ。がっかりしたがな(Dissapointed)。」で、即リジェクト。期待した分、揺り返しが大きかったのか?
もう一回言うけど、全てのコメントは的確で、全く、その通り、って感じで、素晴らしいものだった。でも、各査読者の結論は、こんなにもバラついたのだ。
すごいのは、担当編集者が、これらの多様な意見を、実に見事に集約したことだ。上で言ったように編集者の下した結果は”再投稿を促されたリジェクト”なんだけれど、そこに至るまでの説明が秀逸だった。
で、今回、思ったこと、一番勉強になったことは、
僕に、こんなにうまく意見を集約することができるだろうか?こんな風に、多様な情報を統合することができるだろうか?・・・道は遠い。
かな。こういう”モデル”を見ることができた、ということの収穫は大きい、と思うんだ。