論文を書かない研究者は、ネズミを捕らないネコと同じである
なかなかに刺激的なタイトルをつけてしまいましたが、元は以下のお話です。
これは、もともとは海洋化学の大家である角皆静男先生のホームページにあった文章ですが、先生が亡くなられてホームページが閉鎖されてから、北大の渡辺豊先生がご自身のホームページ上で再現されたようです。ありがたいことです。
ここのところファーストで論文書いてません。実は、それにはそれなりの理由があって、2年ほど前のこと、
大きな大きなアイディアがある。そのためには、まだまだ修行が足りない。そのアイディアを実現するための勉強が必要だ。業績数を増やすためだけのような小さな研究(実は、結構、そういう研究嫌いじゃない)はやってる暇がない。大きな大きな研究のために、意を決して、ファーストで論文を書くのをしばらく我慢しよう。
と思ったのでした。
で、なんでこんな話題出したかと言いと、上で書いたこと(2年前思ったこと)は完全に間違いだって気付いたからでした。論文を書かない研究者は「ネズミを捕らないネコ」ではありません、粗大ゴミだと思います。うーん、言い過ぎか。でも、論文を書くのを辞めた段階で研究者を名乗るのも辞めるべきです。
もちろん、粗大ゴミには共著で立派な論文を発表している研究者は含まれません。そのファーストではないけれど、その研究者の参加のおかげで立派な大研究になったという例は幾らでもあります。共著者としての生き方ってのもアリだと思います。
実は、この2年は、その生き方を選んでました。修行の後、ファーストで大きな論文を書くという思いを残しつつ、です。でも、気付きました。ファーストで論文を書くことを放棄するのは、とても楽な道なのです。そして、いっぺん、その楽な道に慣れたら、なかなかファーストで論文を書く厳しい道には戻りにくいのです。
大きな試合に勝つために、小さな試合に出るのを止めるというのは、大抵のスポーツで当てはまらないのではないでしょうか?小さな試合で勝つことを積み重ねて大きな試合に出るチャンスを掴み、そこでの大勝利の可能性を高めるのでしょう。僕のイメージにあるのは、錦織圭選手ですね。で、宣言します:
たとえ小さな研究であっても、ガンガン論文書きます。もちろんファーストで。その先に大きな研究があると信じます。